FPとの出会い
冬あたたかく、夏はさわやかに。
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story1
高性能な木の家を求めて塩山工務店会長・塩山勲が、次世代型の高性能住宅を模索し始めたのは1996年。阪神淡路大震災によって大きな被害がもたらされた翌年のことでした。 やはり日本の気候風土には、湿気を吐いたり吸ったりしてくれる木の家が適している。しかし今のままでは、住む人の安全と健康を100%守れる家にはならない。 |
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北海道に飛ぶ
塩山がFPの家に魅力を感じたのは、これまで通りの木造の骨組に、きっちりと寸法を合わせたパネルをはめ込んでいくという、その工法でした。これなら自社が代々培ってきた大工の腕を活かしながら取り組んでいくことができます。 "石橋を叩いても渡らない"と息子で現社長の塩山直彦から評されるほど、慎重派の塩山ですが、一旦決めてしまうと迷うことなく突き進む行動力を持っています。 |
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story2
ベテラン大工も納得新しいことを始めるのには誰しも多少の抵抗があります。大工の奈義良もFPの家の施工方法に最初とまどいを覚えました。塩山とともに建築現場を訪ねた奈義良は、大工が建物の気密性を高めるために壁と床、壁と天井などの境目にテープを貼っているのを見て、「こんなことまでするのか」と驚いたと言います。 しかし実際にやってみて、理に適っていると思えば納得するのが職人のいいところ。奈義良はFPの家を建てるノウハウをきちんと身につけた大工として、いまではお客様から高い評価を受けています。 |
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何よりの喜びはお客様の笑顔「施工の下手な工務店はFPグループにはいません」 「FPの家はいまや、全国に広がっています。それは宣伝をしたからではなく、ものがいいから。口コミでじわじわと広がったんです。」 そう語る塩山の顔には、次世代にふさわしい高性能住宅を探し出し、自分たちのものにしたという自信と誇りにあふれています。そして、その高性能住宅をきちんと施工できる人材と技術力を、塩山工務店は何代にもわたって受け継ぎ、育ててきました。 素晴らしい情報を得ることができても、それを形にする体力がなくては、理想には近づけません。そういう意味でFPの家に出会い、それに取り組むことのできる私たちは幸せだと思います。自分たちが本当に納得したものをお客様に提供できるという喜びを胸に、これからも怠ることなく精進を重ねていきたいと思っています。 |
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